📮KURUME LETTER

【教員コラム】文学を研究するということ / 田中 優子(文学部 国際文化学科 )
🧑‍🏫教職員

【教員コラム】文学を研究するということ / 田中 優子(文学部 国際文化学科 )

私が通った中学校では、卒業するときに、自分が3年間に学校の図書館で借りた本のリストが配られました。久しぶりに開いてみると、今でもまた読み返したいと思う本がたくさん並んでいて、その頃の自分と今の自分の興味の方向性はそこまで変わっていないのだということを実感させられます。今でこそ、読書は半分仕事のようになってしまいましたが、中学生の頃は、いろいろな本を読みたくて毎日のように図書室へ通っていたのを覚えています。思い返してみると、あの頃の楽しい読書体験が、児童文学を研究したいと思った動機のひとつのように思います。

私は19世紀イギリス、スコットランド出身の作家であるジョージ・マクドナルドの子ども向け作品を研究しています。死とは何か、生きるとは何か、について、作者が子どもに向けて真面目に語りかけているところに惹かれています。例えば、彼の代表作のひとつである“The Golden Key”(「黄金の鍵」1867年)という作品は、MossyとTangleという少年少女が 「影のおちてくるもとの国」の入り口を探しに旅にでる物語です。夕暮れ時にMossyが大叔母から黄金の鍵についての話を聞くことから始まるこの物語の中には、鱗ではなく「様々な色に光り輝く羽で覆われた魚」や「自ら光を放つ虹」、その虹をゆっくりとのぼる「美しい人影」、さらには登場人物をいつも優しく見守る、若くて優美な姿の「おばあさま」など、美しいイメージを喚起する描写が多くみられます。そして、その中で死とは、“better than life”(生よりも良いもの)ではなく、“more life”(より豊かな生)であると語られます。「死」が「より豊かな生」であるとは、どういうことなのでしょうか。このように難解な謎を多く内包する美しい物語への自分なりの解釈を考えていくことを、学生時代から相も変わらず続けています。

話は少しとびますが、ジャンルを問わず、文学を研究していて興味深いのは、先ほどふれた、死とは何か、生きるとは何かという問いを、他人(しかも架空)の生き様を通して考える、というところではないかと思います。

登場人物が、痛い目にあって反省し、成長したかのように見えても結局同じことを繰り返していたり、「自分は虚栄心を抑制することができている」と発言すること自体が虚栄心の満足のための行動だったり、または物事を恣意的に認識していることから、自分の感情を正しく認識することさえも困難な状況に陥っていたり。

これらの特徴を、「ああ、こういうところは私や周りの人にもあるなあ」と思うこと。それらを論理的に説明していくこと。さらにそのどうしようもなさを情けなく、ときに愛おしくさえ思ってしまうこと。遠い国、遠い時代の物語であっても、そこには現在の自分とさほど変わらない誰かが描かれていることが面白いと感じること。等、不可解で理不尽で矛盾に満ちた人間の生き様を、物語を通して分析・批判し、自らの人生に映し出していく行為の虜になってしまったこと、が文学研究を続けている理由なのだと思います。